そもそも腕時計が要るかどうかについて考えたい。
いきなりだが結論としては、不要ではないかというのが私の考え。
その理由について述べていこう。以下に早速まとめてみた。
①左右非対称になる
②蒸れる為不衛生
③スマホで事足りる
④裾口がダメージを受け衣服が消耗しやすい
⑤時間を確認するという行為に対するアンチテーゼ
①左右非対称になる
右腕と左腕でアンバランスになる。
身体のバランスが崩れる。
じゃあブレスレットとかをもう片方に付ければいいという意見に対しては、そんなジャラジャラ着飾る生き方に共感できないのでお好きにどうぞとしか返すことはできない。
②蒸れる為不衛生
そして蒸れる。衛生的にもメリットはない。
③スマホで事足りる
さらに機能としての必要性も薄い。時間の確認はスマホを見れば可能。
生活必需品になったスマホがあるこの現代において、わざわざ腕時計をする必要性がない。
勿論商談中やフォーマルな場面など、スマホを見ることが憚られる状況を除いては。そういうシーンを主戦場にしている人にとって重要なのは理解できる。しかしそうでない人にとってはスマホを見ればいいのでは?となる。
これに対する反論の理由一位があるとすると、ファッションアイテムですよというのがあるだろう。
別に否定しない。自己表現は自由だ。
しかし前提として、表現には意味や伝えたい世界観があって初めて成立するという性質がある。
つまり、腕時計を付けるならそこに意味や世界観を支える理由や根拠がないと、表現として成立しない。
説得力や、それが本物であると感じさせるオーラは、そこの有無が大きく関わっている。
現代のファッションは形から入るものが多い。
それはただの記号であって、表現ではない。
腕時計をかっこいいからという理由だけで、付けるのは私からすれば浅はかである。
④裾口がダメージを受け衣服が消耗しやすい
それから特に冬場など、長袖を着る季節には、その袖口が腕時計のせいで擦れてダメージを受けやすい。
衣服を大切に扱い、少しでも長く愛用できた方がいいという考えを前提に考えれば、不必要に袖口にダメージを与えて、衣服の寿命を削る行為はあってはならない。ドラクエで言えば、メガンテ的な行為だ。
⑤時間を確認するという行為に対するアンチテーゼ
これを踏まえ、さらに不要派として私の論を進めよう。
その主たる論拠として、時間を確認するという行為そのものへの懐疑がある。
時刻という概念は人間がこの世界の進行速度を定量的に把握する為に生まれたものだが、その根源としての時刻という概念は、他者と世界線を共有するニーズに起因して生まれたのだろう。集合時間やイベントの開始時間など。
そして、次に時間間隔にシビアな類のもの。薬の服用、料理など。
ただ、これらというのは先にも示したようにスマホで解決する。
だから機能的な意味合いにおいては腕時計は不要である。
もう少し時代的な話も踏まえると、今はむしろ時間という概念に強烈に支配された社会になっている。
インターネットが普及し、全世界と皆が繋がった社会になり、
より一層時間というものの共有の必要性が必然的に、そして無意識的に高まった。
普通に生きているだけで、時間に縛られる生活になった。
しかも日本は特に時間に厳しい国である。電車も一分単位で正確にやってくる。
他者と生きる空間を共有する為に時間というのは必要な概念だが、その傾向が強くなりすぎると、自分という空間が失われていく。気付いたら全て他人に合わせる生き方、他人本位な生き方になっている。なんてことは往々にしてあるのではないか。
そんな社会の中で、さらに時間を意識させるアクセサリーを身に付ける必要性がどこまであるのか。
そうまでして他人本位な世界線に自分を生かしたいのか。
私は否である。
自分の空間というものを大事にしたいし、自分の感性や心を失いたくない。正直に生きたい。
定規に沿って生きるのではなく、気持ちのままに自由に曲線を描きながら生きていたい。
その象徴として、腕時計を付けないという選択肢を私は推したい。
それに時間というのは、ジャネーの法則が示すように主観的なものである。
もっと言えば、アインシュタインが提唱した相対性理論からも分かるように、時間というのは絶対的なものではなく、相対的なもの。
時間は生き物なのだ。自分がどういう風に生きるかで、時間の流れ方は変化するのだ。
それを忘れて、客観的なパラメータとして、絶対的なものとして捉えてしまっては、いつまでも受動的な生き方しかできないのではないか。
時間は有限であるという事実を認識することは勿論非常に重要だが、一日の中で頻繁に現在時刻を確認する行為やそれを誘発するような環境を自分の身に形成してしまうのは、果たして本当に必要か。(社会的に必要な人は当然必要だが。)
必要でない人は、もう腕時計なんてものやめてしまった方がいいのではないか。
時間を確認して生まれる感情の多くは、焦燥感や虚無感ではないか。
もうこんな時間か。まだこんな時間か。
そんな感情が私達の人生にどんなプラスの影響を与えてくれるというのか。
だから、身に付けないというお洒落があってもいいんじゃないか。
そう思うんだよね。
以上。